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ネジの歴史
ネジ豆知識
ネジができるまで
医療部品ができるまで

“ネジ”の起源には諸説があり定かではありません。
代表的な説は“巻き貝”をヒントにしたという説と、木に巻き付いた“蔓植物”をヒントにしたという説です。
「巻き貝説」は、原始人が浜辺で貝掘りをしていたら、尖った巻き貝を見つけ、それを葦の棒切れに突き刺し、回転して外しました。
これが人類と“ネジ”の最初のかかわりであったといわれています。
「蔓植物説」は、木の幹に藤の木のような丈夫な“つる”が巻き付いた部分はくぼみ、巻き付いていない部分は太くなります。 “つる”が枯れて落ちた後、螺旋状の“くぼみ”がついた太い木の幹が残ります。この幹を見た昔の人が“ネジ”を思いついたといわれています。
もうひとつの説は、粘土を引き伸ばしながらぐるぐる巻くと、螺旋状にひねった部分ができあがります。
これをヒントに“ネジ”ができたともいわれています。


“ネジ”の形態をした最初のものは、紀元前300年頃アルキメデスにより発明された「螺旋揚水機(揚水ポンプ)」といわれています。
「螺旋揚水機」は、木製の心棒の回りに木板を螺旋状に打ち付けた物が傾斜した円筒の中に入っていて、円筒の下端が水に漬かっています。
心棒の上端にあるハンドルを回すと、水を下から上に揚げることができます。
最初は、灌漑のための揚水作業や船底にたまった水の排水や鉱山の排水に利用されました。
16世紀から17世紀に中国に伝わり“竜尾車”と名付けられ、17世紀半ばには日本にも伝わり“竜桶(たつとい)”と呼ばれ、佐渡金山の排水に使用されました。
紀元前100年には、オリーブの実をつぶしてオリーブ油を絞るために、大きな力を発生する圧搾機「ねじプレス」が製作されました。
「ねじプレス」は、葡萄酒作りにも盛んに使用されるようになり、地中海の周辺では、古代に使用された三角ねじ山の太い“木製のねじ”が多く発見されています。
「ねじプレス」は、1450年頃に発明された「グーテンベルグの印刷機」にも利用され、現在も続く活字印刷の先駆けとなりました。
新聞のことを“The Press”というのはその名残りです。


15世紀のルネッサン期、レオナルド・ダ・ビンチが残したスケッチのなかに“タップ・ダイスによるネジ加工の原理”がスケッチされています。
ダ・ビンチは“ネジ”を機械要素の一つとして重視し、その幾何学を検討し、“ネジ”が中心的要素となっている様々な装置を設計・考案しています。
このことから、金属製ボルト、ナット、小ねじ、木ねじ類は1500年前後に出現したようです。
これらの“締結用ねじ”は、馬車や荷車などに使用され、ルイ11世は金属製のねじで組み立てた木製ベッドに寝ていました。
また、この頃の鎧のなかには、前方から身体を入れ、胸当てをその上から“ネジ”で止めるものがあります。
産業革命期に入ると、大量生産のために工業用機械の発展と製作技術の向上に伴い、金属製の“ネジ”による締結が重要な要素となってきます。


16世紀には、ねじを基にして、いろいろな“ネジ”を切ることができる“ねじ切り旋盤”ができました。 “パッソンのねじ切り機械”もそのひとつです。
18世紀後半の精密機械作業者(誰が初めに行ったかは不明)たちは、金属の丸棒にネジを切ることを始めました。


16世紀中頃の1543年、ポルトガル船が種子島に漂着した際に、藩主・種子島時堯が鉄砲2挺を二千両で購入したことから日本の“ネジ”の歴史がはじまります。
藩主から1挺の鉄砲を見本として与えられた刀鍛冶・八坂金兵衛は鉄砲の模造を命じられます。
火縄銃には、銃底をふさぐための“尾栓”に“おねじ(ボルト)”が、“おねじ”がねじ込まれる“銃底”の筒の中に“めねじ”が使われていました。
当時、金属加工の工具としては「やすり」と「たがね」しかなく、“おねじ”は比較的容易に造
り上げることができましたが、“めねじ”の製造は困難をきわめました。試行錯誤の末“おねじ”を雄型にして、火造り(熱間鋳造法)で“めねじ”の製作に成功しました。これが日本の“ねじ製造”の起源と伝えられています。
その後、火縄銃は戦国武将達にもてはやされ普及することで“尾栓ねじ”の製造も、泉州・堺、紀州・根来、滋賀・国友村などに普及し、改良・開発され日本全土に普及していきました。1549年に来日したキリスト教宣教師・フランシスコ・ザビエルが、1551年に大内義隆に贈った
「自鳴機(機械時計)」に使用されていた“ネジ”が、日本に伝わった“締結ネジ”の最初と推定されています。



19世紀に入り、ヨーロッパでは産業革命により“締結用ねじ”が大量に生産されるようになります。
それまで現場合わせ的であった“ネジ”に「標準化」の発想が生まれます。
ネジの寸法は制作者ごとにまちまちで、機械用部分品として極めて不便なものでした。
イギリスでは、ワイアット兄弟の「ねじ製造用旋盤」、ヘンリー・モーズレイの全鉄鋼製「ねじ切り旋盤」を経て、1841年、イギリスのサー・ジョセフ・ウイットウォースが多数の工作機械を製作する一方で、土木学会に“ネジ”の寸法や“ねじ山”の角度(55度)を決め、ねじ制作者が同じ基準の「標準ねじ(ウイットねじ)」を作ることを提唱した論文を提出し、標準化・規格化が進みました。
“ウイットねじ”は、後にイギリスの国家規格BSに発展し、イギリス製の機械と共に世界各国に輸出された最初の国際的ねじといえます。
その後、アメリカでも標準化が提唱されます。
互換性生産方式に基づく大量生産システムの母国アメリカでも“ネジ”の標準化は推進され、1864年、アメリカのウィリアム・セラースが“ウイットねじ”を参考し改良を加えた「標準ねじ(アメリカねじ方式:ねじ山角度60度、インチ系ねじ)」をフランクリン学会に発表しました。
“アメリカねじ方式”は、1868年にアメリカの政府関係事業に採用され普及しました。
1894年、“メートルねじ(ねじ山角度60度のメートル系ねじ)”がフランスで考案され、ドイツ、フランス、スイスの各代表がチューリッヒに集まり、最初の“国際ねじ”ともいえる“SIねじ”が制定され広く使われました。
“SIねじ”は、現在普及している“メートルねじ”の原型といえます。
“ウイットねじ”“アメリカねじ”“メートルねじ”は、それぞれの形で発達していきましたが、3つの“ネジ”の規格に互換性がなく、第一次世界大戦の際、連合国軍は軍事上にがい経験をします。
第二次世界大戦が始まり、武器に使う“ネジ”の互換性の問題から、アメリカ、イギリス、カナダの3国がオッタワで協定を行い、“ユニファイねじ”が作られ発展しました。
その後、交通機関の発達に伴い国際交流が深まり、国際貿易の拡大とともに“ネジ”の互換性の要求が高まり、国際的な標準化が必要となってきます。
1928年に設立されたISA(万国規格統一協会)を経て、1947年にISO(国際標準化機構)が設立され国際標準化が推進されます。
“メートル系”“インチ系”の2本立ての“ISOねじ”が確立されます。
“ISOねじ”は近年世界各国でしだいに採用されつつあります。
我が国も、1952年にISOに加盟しました。
このように「標準ねじ」は発展し、今日の“ネジの規格”が出来上がりました。

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